稲フィル☆つうしんVol.15 
                              平成25年12月1日発行


なぜヴァイオリン?

子供のころ、毎週日曜日の朝8時頃になると、狭い我が家で父はガンガンの大音量でクラシッ

クのレコードをかけていた。「せっかく朝寝坊出来る唯一の日曜日なのに!」と私はいつも

布団をかぶり、耳をふさいでいた。

それはベートーベンだったりチャイコフスキーだったり。そうして無理やり耳に入ってきた

のがクラシックとの付き合いの始まりだった。


子供たちも大きくなり、楽譜さえろくに読めない私が、何か始めようと思いついたのがどう

してヴァイオリンだったのか未だに謎だが、飽きっぽい性格の私が続けていられるのは、オ

ーケストラに入ったからだとこれだけは確信できる。

ひとりではしょぼい音も50人で演奏したらものすごいパワーになり50倍の音ではなく、100倍

にも1000倍にもなる。パワーだけではなく素晴らしいハーモニーにもなる。


父はヴァイオリンを始めたのと同じころ亡くなったので、私がヴァイオリンを弾いているな

んてあの世で想像もできないだろう。

私がベートーベンやチャイコフスキーが好きなのも、そしてお酒が好きなのも、もしかした

ら遺伝なのかも知れない。

昨年はじめてチャイコフスキーの「悲愴」を弾いて、本番で4楽章が終わったとき、なぜか思

いもよらず父の事が頭に浮かんだ。はじめて「生きてるうちに見て欲しかった」と思った。


そんなオケ大好きなわたしだが、先日1年半ぶりに腰痛のため練習を休んだ。これからもきっ

と、あそこが痛い、ここが痛いと言いながら毎週練習に通うことだろう。そのうち稲フィル

は若い方にお任せし、稲城市民になった後藤先生やコンミスも引っ張り込み、「稲城シニア

オーケストラ」でも創って老後の楽しみにしたいと思う。

                                    (Vn.S・Y)


昔語り―稲城フィルと後藤先生—

 愛知県の実家に帰省していた私の携帯が鳴った。あぁ後藤先生だ。

「もしもし、後藤先生こんにちは」

「あぁ元気?僕さ……」


 私が稲城フィルに初めて出演したのは今から20年前、1993年の第1回の定期演奏会だった。

その時はまだ団員は数人。弦楽器は各パート1人ずつくらい、管楽器はパートが歯抜けの状態

で、なぜかフルートだけ5人もいた。最初の頃は毎週金曜の夜に中央文化センターで行われて

いた練習でも、指揮者とヴィオラとチェロとフルート3人、といったような状態で、さぁやり

ましょー、ジャジャジャジャーンと運命を演奏したって、なんとも悲しい運命にしかならな

いのは当然だった。

 多くの賛助出演の方に力を借りて演奏会は毎年2回開いていたが、お客さんもまばらだっ

た。稲城市中央文化センターのホールは、今はステージのすぐ下から固定式の座席があるが、

かつては平間には椅子がなく、演奏会のたびに折りたたみの椅子を並べていた。しかしそこ

にお客さんが座ることは稀だった。

 そうして細々ながらも活動していたが、創立から4年目のことだった。指揮者であった創

立者が突然東京を離れ、我らオーケストラ団員は本番を2ヶ月後に控えて取り残された。創

立者に誘われて入団した人が多かったこともあるが、創立者がいなくなれば解散だ、と、こ

とさら大げさに騒ぐ人もいた。


 しかし私はそうは思わなかった。このオケは稲城という地域に住む人たちのためのオケな

のだ。オケと音楽はこの地に根ざそうとして始まった。創立者がどうであろうとも、それを

簡単にやめてしまうことはできない。このオケができるからと楽器を始めた市民だっている

のだ。

 増えつつあった団員数も14人と激減し、草創期の寂しい雰囲気に戻ってしまった。しかし

少なくなった団員は最初の頃とは違い、このオケを維持しようと各自が奔走し、プロのマン

ドリン奏者でもあった当時の稲城フィル代表が指揮をして演奏会も開いた。団員の呼び込み

をしようと少人数でロマン派を演奏するなど、良い方策とは思えないこともあったが、四苦

八苦して何とかつないできた。

 ところが、第6回定期演奏会を終えたあとのこと。唯一の頼みの綱であった代表から、多忙

により次からは指揮ができないと伝えられたのだ。さすがに私たちも、もう無理かもしれな

い、と覚悟をせざるを得なかったのだが…。


「もしもし、後藤先生こんにちは」

「ああ元気?僕さ、ずっと土曜にやっていた遠方でのレッスンが終了したんだよね。だから、

何か稲城フィルでトレーナーとかさ、力になれることがあったら言ってよ」

「先生、それじゃ、それじゃ、指揮をお願いできませんか?」


 さすがに不躾で失礼だったかもしれない。後藤先生は一瞬困ったような反応で、「もうち

ょっと考えさせてほしい」とだけ返答をいただいた。私は申し訳ないことをお願いしてしまっ

たかな、と心配になった。

 しかし1週間後。後藤先生は「この1週間、何をどうすれば稲城フィルをいいオケにできる

かずっと考えていたんだよ。なんとか頑張ってみましょう!」という返事を下さったのだ。

 私はその数年前から、とある弦楽合奏団で後藤先生にご指導をいただいていた。その縁で、

稲城フィルでも、第5回と第6回定期演奏会の練習で1回ずつではあるが、トレーニングを

お願いしていた。非常にわかりやすく、音へのイメージをしっかり感じさせてくださり、演

奏する中では何が一番大切なのか、というような、音楽の楽しみの様々なことを教えてくだ

さるということに感銘を受けていた。稲城フィルをオケとしてしっかりとした形にできるの

は後藤先生しかいない、という思い一つでお願いしてしまったのだが、困らせてしまったと

思っていた1週間、実は、後藤先生はこのオケのことをしっかり考えてから引き受けてくだ

さったのだった。


 第7回定期演奏会、ベートーヴェンの交響曲第7番が後藤先生のもとでの稲城フィルの新

たなデビューだった。そこから団員は一気に増加し、創立20周年を越えた今では、一般的な

市民オーケストラと同じ規模にまでなった。第1回定期演奏会からこのオケを見つめてきた私

としては本当に感慨深い。

 そうして熟成してきた後藤先生と稲城フィルは、今夜、今まで私たちが演奏してこなかっ

たタイプの曲であるシベリウスの交響曲に挑む。どんな音楽を皆さんにお届けすることがで

きるであろうか。まだまだ未熟なオケであり、お聞き苦しいところもあるかもしれないが、

ぜひこの13年間に渡るコンビによる音作りにご期待いただきたい。
 

 今さらにして、古参が昔語りをするなどカッコの良いものではないが、稲城フィルはこう

してここまで歩んできたことをお伝えしたかった。今後、メンバーが替わるなど、いろいろ

な変化は当然あるだろうが、稲城フィルが稲城という地域のためのオケであることだけは変

わらない。ぜひ、いつまでも長く、地域の皆様に愛される市民オーケストラであってほしい

と心より願う。

                                   (Va. S・O)

 

  ~稲フィル五輪!~ 各パートからのメッセージ