稲フィル☆つうしんVol.13 

                              平成24年12月9日発行

転向

 大学オケでかなり熱心に活動していたが、卒業と同時に演奏活動から遠ざかってしまっ

ていた。仕事が落ち着いてきて、どこかでオケを再開しようと思い始めていたが、クラリ

ネットの募集はほとんどなかった。私もそうだが、クラリネットやフルートは吹奏楽では

オケでのヴァイオリンのように人数を多く必要としていることもあり、演奏経験者が多い。

しかし、2管編成のオーケストラでは、基本的に2名であり、交代要員も含めて3〜4名が所属

しているオケがほとんどであり、どこのオケもクラリネットは足りているのである。

 そのような中で、自宅から少し距離はあるが、稲城市のオケが募集していることを知った。

早速連絡し、見学させてもらうことにした。1997年、稲フィル設立5年目のことである。練

習場に行って初めに驚いたことは、「人がいない!?」ということだった。この人数でオー

ケストラの曲が演奏できるのかとも思ったが、団員の音楽にかける熱意が感じられたので、

入団することにした。

 入団して、考えたことは、「音楽を一生の趣味にしたい」ということだった。

 それには自宅で音を出せ、あまり体力を必要としないヴァイオリンが良いと思った。何

より、あの艶やかな音色が好きだった。

 早速、楽器店で手ごろな楽器を選んでもらい(自分ではどのような楽器が良いかまったく

わからない)、音楽教室に入門した。このとき43歳で、中年からのスタートであった。週1回

の教室と毎日30分の練習に熱中したものである。音色も音程もひどいものではあったが、そ

れでも楽しかった。そして、いつかはオケで弾きたいと思うようになった。

 チャンスは意外と早くきた。当初はクラリネットが2名で、全曲演奏していたが、新たに

クラリネット奏者が入団し、演奏会の中で休む(「降り番」と呼んでいる)曲が出てきた。

どうせ休むならヴァイオリンを弾こうかなとパートリーダーに相談し、了解を得たので、晴れ

て演奏会に乗ることができた。楽器を始めて3年目であった。当時は前半クラリネットで後半

ヴァイオリンというスタイルをとっていたので、プログラムには両方のパートに名前を載せ

てもらった。後で、聞くと同姓同名がいると思った方もいたようだった。

 いまでは、クラリネットは他の団員に任せ、ヴァイオリン1本で演奏会に出るようになり、

やっとヴァイオリニストに「転向」できたのかなと思う。

 楽器を始めるのに年齢は関係ない。要はやりたいという気持ちと、続ける努力である。

 音楽は聞くのは感性であるが、演奏の半分は運動能力なのである。正しいタイミングで正

確な力加減ができるかが重要でこれは反復練習によって培われる。運動選手と同じである。

トップに成れるかどうかは別として、生涯の趣味としては最適ではないだろうか。そして、

オケは団体競技としてすばらしい友にめぐり合うこともできるのだ。

 本日、お越しいただいた皆さん、楽器を始めるチャンスはいくらでもあります。なにか

が変わるかもしれませんよ。

                                    (vn:K・N)


奇跡

 稲城フィルで初めての合奏練習に参加したときのことは、よく覚えています。

 当時、仕事のストレスがひどく心がまいっていた私は、どうしても音楽に触れたい、大学

卒業後、遠ざかっていたオーケストラをまた再開したいと、稲フィルの門をたたきました。

 初めての合奏、曲はブラームスの交響曲第2番。指揮は後藤悠仁先生でした。

 そして、合奏が始まると、いつのまにか私はただただ貪るように夢中でヴァイオリンを弾

いていました。

 自分がまさかそんな風になるとは思いもよらず、その時初めて自分がこれほど音楽に飢え

ていて、そして、こんなにも音楽やオーケストラが好きだったんだと、実感しました。

 また、演奏が終わった後、それまで心に鬱憤していたものが、嘘のように消え去ってすっ

きりしていたのです。まさにストレスだらけの私の心を音楽が浄化してくれたようでした。

 それが、稲フィルがくれた最初の奇跡でした。

 そして、入団してはや9年ほど。何度も本番に立たせていただきましたが、いい演奏をや

り遂げて「よっしゃ!」と感じ、また、舞台上で感動したことが何度もありました。

 理屈じゃない、演奏技術だけじゃない。情熱や思いをこめた音。

 団員みんなの気持ちがこもった音が「奇跡」を作り出す瞬間を何度も見てきました。

 数年前、「演奏会にいらっしゃるお客様に稲フィルを紹介する新聞を作りたい」という

企画が立ち上がり、編集を担当させていただくことになりました。そして、誕生したのが

この「稲フィルつうしん」です。

 演奏会のたび発行してきましたが、毎回、団員が書いてくれた原稿を目にして、感動し

なかったことは一度たりともありません。

 いつも、教えられるばかりでした。

 心のこもった言葉は、こんなにも美しいのだと。

 何かを伝えようとする思いが奇跡を作り出すのだと。

 また、創刊当時から、団員個人が書くコラムとは別に、各パートにもコメントをお願い

してきましたが、毎回、編集担当のむちゃぶりにも近いお題に、各パートが精一杯の粋で

楽しいメッセージをよせてくれました。毎回、味も色も違うカラフルな言葉たちにワクワ

クしっぱなしでした。

 稲城フィルのこの20年の歴史の中に、「稲フィルつうしん」が存在できたことを、本当

にうれしく思います。

 今回、編集担当自ら、コラムのペンをとらせていただきましたが、この場で伝えたい

思い、それは、今までたくさんの奇跡を作り上げてくれた仲間たちへの感謝。それにつき

ます。

 稲フィル20周年。演奏に言葉に、このオーケストラでたくさんの奇跡が生まれる瞬間に

立ちあってきました。

 ありがとう!

                                   (vn:A・T)

           〜稲フィルのお菓子の国へようこそ〜        各パートからのメッセージ